日本人プロサーファー

テイクオフ成功の法則



日本人プロサーファー誕生のとき


1979年の秋に発行されたサーフィンライフ季刊号に当時の日本人プロサーファーが全員紹介されていました(上はその1ページ)。ドジ井坂さんは日本人プロサーファーの第一号みたいに今では言われていますが、実質的にプロだったのはこの世代からなんですよね。

 

で、驚いたのは...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは当時最も人気と実力があった抱井保徳さんの紹介記事。Aに住所が正確に書いてあるではありませんか。アパート名と部屋まで。「東海荘2号」って今でもあるんでしょうかね。抱井さんがここにまだ住んでるなんて考えられませんからモザイク処理はしませんが、雑誌に住所を掲載するなんて今は絶対にありえませんよ。

 

 

あと目を引くのはBの所属団体です。NPSAは今のJPSAの前身、IPSはASPの前身。IPSって言ったら現在では「IPS細胞」のことしか頭に浮かびません。その他にもOSAという大阪だけのプロ団体もあったんです。

 

 

Lにはサーフィンを始めた年齢が書いてあって、抱井(かかい)プロは13歳から始めたんですね。ですが、この当時としてはかなり早いです。他のプロはほとんどが18歳以降でサーフィンを始めていますから。プロになるには今では5歳から始めるのが普通ですので、これも時代を象徴しています。



コンテンツ
サーフィンライフ 創刊号
今は唯一のサーフィン月刊誌となったサーフィンライフ誌ですが、その創刊号(第一号)は1980年の4月1日にマリン企画から発行されています。
サーフィンワールド 第8号
今は廃刊となったサーフィンワールド誌の第8号(1978年4月発行)です。この表紙、誰だかわかりますか。実は、この彼も今は亡き人なのです。
リップカール
リップカールといえば、ご存じサーフブランドの大御所。上みたいなサーフパンツなど、ほとんど何でも作って売っています。
クイックシルバー
1980年代のサーフィン雑誌に掲載されていたクイックシルバーの広告。1ページを使っているのに宣伝文句は一切ありません。
シーガルの謎 〜 解決編
DOVEは今でも日本市場で健在です。シーガルの生みの親だってこと、もっとアピールしてもいいのではないでしょうか。
折りたたみサーフボード
実は日本のサーフボードメーカー(ゴッデス)も、なんと1980年にツーピースのサーフボードを発表しているのです。

 
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