柔ら(やわら)の道
物事を達成する上で合理性を尊ぶ
この言葉、誰だかおわかりでしょうか。 明治から昭和初期にかけて柔道というスポーツを世界に広めた偉人、嘉納治五郎の言葉です。嘉納治五郎は秀才肌の小柄な人だったようで、学生時代はよく仲間にイジメられたそうです。 よくあるパターンですが、そんな人ほど格闘技を習う傾向にあります。
今も昔も同じなのですね。治五郎は当時(明治初期)人気だった柔術の先生に弟子入りしています。柔術は戦国時代に敵を素手で仕留めるために開発されたもので、受身に失敗すれば命取りになろうかという非常に危険な武術です。打ち身ねんざが絶えない過酷な稽古の毎日。しかも、先生は何一つ教えてくれない。武術は体が覚えるものというのが慣習だったからです。しかし、学問に秀でた治五郎にはこの習わしはどうしても納得できないことでした。
技を修練する過程で合理性水準の高い方法を掴む
教えてくれないのなら自分で分析するしかない。この言葉はそういうことでしょう。そして、どうすれば最も技がかけやすいのかを探っていきました。そのためには人体に関する医学書や外国の格闘技(レスリング)の文献も読みあさったそうです。
合理的なものを構築したことで誰もが学べ、次の人にも教えることができる
ここが治五郎のすごいところです。自分一人のためではなく、後に続く者たちのことを考えていたのです。その教義はすでに柔術という枠を飛び越えて、革新的なものを生みだしていました。殺人のための武術から、スポーツ競技への脱皮です。
共に高め合う一つの道 = 柔道(やわらの道)
「姿三四郎」は柔術と柔道、どちらが強いのかを決するという荒筋の小説です。今で言う異種格闘技ですね。もちろん三四郎が勝って柔道の普及に一役買っています。さて、サーフィンではいかがでしょう。「とにかく海に入ること」というのがよくいるサーフィン指導者の言葉です。それだと柔術の先生と同じではありませんか。なにごとも合理性を追及することは大事です。それを人に伝えられる言葉はもっと大事です。
- サーファーと薬物
- サーフィンには”快感”という言葉が付きものです。 しかし、その快感をもっと高める物、その延長線上にある物に手を出してはいけません。
- 最高のお手本が真近に
- サーフィンというスポーツは非常に特殊な環境にあります。最近サーフィンを始めたという初心者がトッププロと同じ場所で練習している実態がそうです。
- サーフィンは安全なスポーツ
- それに比べサーフィンは実に安全なスポーツです。しかし、油断をしていると大怪我をすることだってあります。
- サーフボード洗いますか
- 「サーフボードは水で洗っておかないと劣化の原因になる」と言う人もいます。私が水洗いするのを止めてから数年経ちますが、そのような傾向は今のところまったく見られません。
- サーフィンすると風邪をひかない
- 体温が一度下がると免疫力は三〇%も低下するといいますから事態は深刻です。実は私は若いころ、平熱が35度台という低体温だったのです。
- サーフィンが五輪種目になったら
- どうしてドーピングを黙認するのか疑問に思われるでしょう。なぜなら、それがショー・ビジネスだからです。
- この世で最も感動的な遊び
- 別荘の敷地にはプライベートビーチまである。しかし、サーフィンできそうな気配は全くありませんでした。私たちにとって、それは「死んでるビーチ」だったのです。
- 自分のサーフィンは見えない
- サーフィンの世界はとてもすばらしく、とても不合理なもの。1日でも早く、少しでも上手くなるしかありません。