仲村拓久未
JPSA伊豆大会で念願の初優勝を飾り、サーフィンメディアもこれでようやく臆せずに彼の特集を組めるわけです。キッズ時代から天才の名を欲しいままにしてきた拓久未。しかし...
プロ転向後は今一つパッとしない成績に本人自身も戸惑っていたはず。先日のJPSA第5戦、茨城さわかみ杯で今季2勝目を上げたことで、ようやく厚い壁を打ち破ったと言っていいでしょう。サーフィン自体も他を寄せ付けないものがあって、もうJPSAには彼を脅かす選手はいないように見えます。
サーフィンライフ誌は「仲村拓久未の可能性は無限大」と書いていました。ただ、それはどうでしょう。つまり、世界でどこまで通用するかという問題。仲村拓久未はたしかに強くなりました。しかし、それは日本国内だけでのこと。今のままで世界は無理です。私にはそれを断言できます。
仲村拓久未のサーフィンには安定感があり、世界の舞台でもほとんどの試合で一定の結果を出します。だから大きく順位を下げることはない、というのが彼の特徴であり強さです。しかし逆を言えば、いつもマネーラウンド(クオーターファイナル)の前で敗退してしまいます。
私のステップアップ版Eブックには上半身の動きを駆使した天秤理論を書いていますが、拓久未プロのサーフィンはまさにその見本です。これは体力のない人が、いかにサーフボードをクイックに動かすかを説いた理論。そういう目で拓久未プロの演技を見てみてください。ボトムターンをするときなど特に、他の選手よりも上半身が大きく動いています。
拓久未プロがこれまでの練習で成果を出せるのは日本の頂点に立つところまで。そこから先を望むなら、劇的に肉体改造しないといけません。上半身の動きなしでも、しっかりボードをコントロールできる体力が必用です。世界のトップ選手はみんなそんな体力を持っています。
拓久未だけは毎年確実に上手くなっている
今月で19歳になった仲村拓久未(三重県)。もう何年も日本プロサーフィン(JPSA)でチャンピオン争いをしているので、まだ19歳なのか〜と思ってしまいます。すなわち、プロ合格してすぐにトップ選手になった稀な逸材というわけです。そして2015年のJPSA第1戦、バリ島クラマス大会。みごと優勝して幸先の良いスタートを切りました。
上の画像は表彰式でのインタビューですが、なんだかオトナになりました。顔つきも声も。まるで、サナギが成虫になったかのようです。で、肝心のサーフィンはというと...うん、確実に進化しています。上手くなっています。もともと日本人の中ではダントツに上手いのですが、また上手くなったな〜と思ってライブ中継を見ていました。
変な話ですが、はっきり言って上手くなってるのを実感させる日本人プロ選手はほとんどいないのです。大多数のプロ選手、というよりほとんど全部の選手が何年たっても同じような演技をしています。冬になればハワイのノースに修行に行って技を磨いてるはずなのですが。日本人が世界に通用しないのはそういう理由です。
そんな中、拓久未だけは毎年確実に上手くなっている印象があります。前述したとおり今年もそうです。ラインの美しさ、そしてターンの切れ。このへんが特に良くなっています。今回のクラマスでは多くの選手たちがチューブライドで高得点を狙うのをよそに、マニューバーだけの着実なサーフィンに徹していました。クラマスの波は基本的にオープンフェイスなので、そこで稀に発生するチューブを狙うのはバクチのようなものです。それで勝っても「ただ運がよかった」としかなりません。
この調子で進化していけば、世界が見えてきそうな気がする仲村拓久未。頑張れ!
2015年、仲村拓久未が羽ばたいた!
2015年のJPSA第5戦、千葉大会セミファイナルで10ポイント(パーフェクト10)を出した仲村拓久未。ヒートアップして意気揚々と海がら上がってきた。
大澤伸幸と戦ったセミファイナルの結果がこれで、逆転につぐ逆転のすごい試合でした。仲村拓久未はファイナルでは勝てなかったものの、このセミファイナルが本大会のクライマックスと言っていいでしょう。間違いなく日本プロサーフィン史上に残る名試合です。
JPSAはおもしろくない...と一般サーファーは言いますが、仲村拓久未という選手の登場で、波しだいではありますが、すごい試合が見られるようになりました。
それから、優勝した村上瞬もすごかった。彼らは日本プロサーフィン界のゴールデン・エイジと呼ばれる世代でして、日本プロサーフィンの革命児です。世界に出るのもいいですが、しばらくはJPSAを盛り上げるために日本に残ってほしいものです。
これはロングボード優勝の森大騎。彼はロング界のゴールデン・エイジですが、彼以外にすごい若手が出てこないのが惜しいところです。
日本プロサーフィンの金の卵
WSL(世界プロサーフィン・リーグ)の大会が宮崎県日向市(お倉が浜ポイント)で今週末開催されました。QS1000という最もランクの低い大会なので海外から有名な選手は来ませんでしたが、日本の第一人者である大野マー選手と今年ようやくJPSA(日本プロサーフィン)グランドチャンピオンとなった仲村拓久未選手の因縁の対決が見ものでした。
ラウンド3の第2ヒート。この4人の面子を見たら、マーと拓久未の二人がラウンドアップするものと誰もが思ったでしょう。しかし結果はご覧のとおり、なんとマーは3位であっけなく敗退してしまいました。その原因はこのヒートで2位に食い込んだ佐藤魁でして、彼は今大会のダークホースだったのです。
思い返せば2年前、大野マーの高い壁に阻まれてJPSA初優勝をさせてもらえなかった仲村拓久未。それがどうでしょう。今やその位置関係は完全に逆転してしまい、拓久未にとってマーはもはや敵ではないように見えます。
勝利者インタビューに応える仲村拓久未。童顔からイケメンに変身して、それでサーフィンが日本一なのですからスター性十分です。
サーフィンがもし東京オリンピックで実現しても、それだけでサーフィン・ブームがやってくるとは私は思っていません。大事なのはオリンピックでメダルを取ること。メダルを取らないことにはブームは起きないのです。それと、やっぱりルックスも重要。つまり、仲村拓久未は日本サーフィン界の金の卵なのです。
これは今大会のダークホース、佐藤魁。「魁」はなんて読むのかといえば、「かい」ではなくて「がい」です。アメリカのブルースマンにバディ・ガイ(Buddy Guy)という人がいますが同じです。英語で Sato Guy と書きますので。
彼も若いサーファーなので将来性がありますが、まだ無難に乗ってるだけのかんじがします。今回は選んだ波がことごとく良かったので準準決勝でまた仲村拓久未と対決して撃破し、まさかの決勝まで勝ち進みました。
- 久我孝男
- 糟谷修自と共にJPSAの二枚看板といわれたこの男。女の子人気ランキングでは糟谷に大きく水を空けられていたものの、その実績では遥かに糟谷を凌駕していました。
- 糟谷修自
- 糟谷修自は日本サーフィン界初の全国的アイドルとなったのです。当時は久我孝男と人気を2分していましたが、女の子が熱狂したのは当然この糟谷修自でした。
- 大野修聖
- 大野修聖、愛称は「マー」。日本人の実質的なナンバーワンであり、世界の最高峰(WCT)を目指して飽くなき戦いをしています。
- 関野聡
- 16歳でアマチュア大会を総なめにしており、2年後にプロトライアルに合格。1991年には念願だったJPSAグランドチャンピオンに輝きました
- 辻裕次郎
- 目標とするサーファーは誰かとの問いには、ジョンジョンとデーンと答えています。遊びのサーフィンの延長でWCTで勝ってしまうところがかっこいいのだとか。
- 村上舜
- この前まで子供(グロム)だったのに、気が付けばこんなに立派になっていました。マニューバーの迫力が増したのは、体ががっしりしてきたからでしょう。
- 大原洋人
- 日本には二人の「洋人」がいてどちらも世界を精力的に周っています。二人そろってWCT入りを果たすことができれば最高です。
- 渡辺寛
- 寛プロは宮崎市出身で、今は日南市にあるサーフショップが運営する民宿を拠点に世界を飛びまわっています。
- チームジャパン
- サーフィンにもチームジャパンがあったのをご存じだったでしょうか。サーフィンのチームジャパンとは...
- 脇田貴之
- 脇田貴之プロはここ数年、連続でエディアイカウメモリアルに招待されています。パイプラインのエピックデイに他の誰も行けないピークから乗る脇田プロ。
- 塚本勇太
- 誰がマーの後を継ぐのか。それは大橋海人でもなく、大原洋人でもなく、仲村拓久未でもなく、塚本勇太のような予感がします。
- 堀口真平
- 彼の競技人生で最も輝かしいのは2003年に出場したハワイ、サンセットビーチで開催されたXCELプロというASPスターイベント。これで7位になったそうです。
- 湯川正人
- テレビ番組「テラスハウス」で一躍有名になってしまった湘南のプロサーファー、湯川正人。
- 安井拓海
- これまでずっと拓久未プロばかりが目立っていたので、拓海プロはどちらかといえば影武者的な印象しかありませんでした。
- 新井洋人
- サーフィンは見せるスポーツ。特にプロサーフィンはそうです。手足の長いサーファーは、技が大きく見えるので有利です。
- カノア・イガラシ
- 子供だと思っていたのに、すっかり大きくなって...ついに来季WCTにクオリファイすることが確実となりました。
- 小林 桂
- 桂のサーフィンはほとんどWCTレベルだと思います。トップランキングの日本人プロ選手でも彼のサーフィンと比べられたら頭が下がります。
- 稲葉玲王
- 玲王はJPSA(日本プロサーフィン)のプロ資格を13歳で取得し、いまだにこの最年少記録は破られていません。
- 伊東李安流
- 伊東李安流(りある)君は宮崎で最も有名なキッズサーファー。私が始めて見たの10年前の彼がまだ4歳でして、やっと横に行けるようになったころでした。