サーフィン小説

田崎は海から上がってきた和男に何も声をかけず、一心に犬とジャれていた。近くにはキャッキャッと笑いながらそれを見ている三人の女性がいて、田崎の知り合い、というよりも安田のサーフィン仲間のようだった。

その中の一人はストレートのロングヘアーが美しい女子だった。その他二名がごく普通だっただけに余計にその彼女だけが目立った。和男はその彼女に目を奪われたが彼女の方は和男をチラリとも見なかった。和男の男としてのオーラはその場ではゼロに等しかった。平和な海で死にかけた男のプライドは完全に地に落ちていて、その存在にすら気づいてもらえない状況を甘んじて受け入れるしかなかった。

安田と阿部が海から上がってくるまでずいぶん長く感じられた。５月末の晴天の日だったが風はまだ冷たくてウエットスーツを着たままだと寒かったので着換えて待つことにした。辺りにはシャワーどころか水道の蛇口すらなく、あきらめて海水をタオルでふき取とっただけで服を来たが、坊ちゃん育ちの和男にとってそれはとてもサバイバルだった。

しかし思ったほど不快ではなく空気が乾燥していたのもあるが、どちらかといえば爽快だった。海から上がって着換えたあとのその何ともいえない気だるさと爽快感は他ではけっして得られないものだと感じた。そして何よりも安田といっしょにいると新しい人種との出会いがたくさんあった。その後もまったくといっていいほど波には乗れない和男ではあったが、安田からの誘いがある度に喜んで出かけるようになるのである。

安田は海から上がってくると自分がいかにもすごいライディングをしたかように仲間の前で自慢げに話した。しかし実際には横に走って緩いアップスダウンをしているだけで、カットバックやオフザリップなどの技をかける技量はなかった。安田としてはウソをついているつもりはなく、自分がそんなふうに波に乗っていると錯覚していたのだろう。

その年の暮れの冬休みには仲間数人でハワイに行くのだが、サンセットビーチで８フィートの波にチャージしたときには波のトップを少し舐めてプルアウトした。そして海から上がると「ものすごいボトムターンをした」と言って、岸からそれを見ていた仲間に爆笑された。安田はいつでも陽気でポジティブな性格だった。そしてどんなに叩かれてもけっして意気消沈することはなく、自分の明るい未来を信じていた。事あるごとに心に傷を負ってしまう和男にとって、この安田という男は実に頼もしく、元気をくれる有難い存在だった。

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